2019年9月14日
皆様こんにちは。
院長 上岡理晴です。
台風15号被害により、千葉県内のインフラの復旧が遅れています。私も、当院開業直前まで、その地域で診療を行っていましたので、他人事ではありません。
早期の全面的な復旧を望みます。また、私なりに当地の方々に、何らかの支援をしたく思っております。
さて、ここ数日めっきり気温が下がり、秋めいてきました。乾いた風が肌寒くもあり、気持ち良くもあります。
9月と言えば月見を思い浮かべますが、昨夜が中秋の名月であったと、今朝知りました。思えば昨夜は一度も夜空を見上げなかったので、とても残念に思えます。
仲秋の名月近くの本日9/14(土)と15(日)16(月㊗️)は連休の方が多いと思います。私にとってこの数日は非常に意味深く、忘れ得ぬ日々です。
37年前の本日9/14、同居していた父方祖母が亡くなりました。家族の死を初めて目の当たりにした事は、当時10歳の私にはかなり衝撃的な出来事でした。真夜中に家族全員で看取りましたが、その時初めて“死”について考えるようになりました。いつか両親や親しい人々全員、そして自分自身もいつしか居なくなるのだと漠然と考え始め、堪らなく恐くなった事を記憶しています。
祖母が亡くなった翌朝、実家近くの河原の土手に、鮮烈な深紅の曼珠沙華の花びらが秋の乾いた空気の中、立ち並んでいた事が今でも鮮烈に脳裏に甦ります。また、出棺の儀で祖母の骸の廻りに沢山のお花をお供えしましたが、その時の白菊の香り痛烈に脳裏に残っております。
そのような 経緯もあり、毎年この時期には曼珠沙華の深紅の花弁、白菊の強い香りが鮮烈に思い出されます
父方祖母(父の母)は昭和57年当時で享年84歳で亡くなりました。当時の女性の平均寿命は75歳程度だったと思われるので、その時にしたら大往生だったかと思われます。ただ、晩年の半年は寝たきりで、共働きの両親に替わり、母方の祖母が看病をする等、かなり死に近づく姿を幼いなりに認識していました。
実際祖母が亡くなった後、誰かしらが居た家に誰も居なくなり、突如いわゆる“鍵っ子”になった事は大きなカルチャーショックでした。
学童など無い時代、小学校が終わって一人帰宅後、誰も居なく静まり返った空間で、当時中学生だった兄が戻るまでの数時間が、とてつもなく寂しく怖い時間だったと、今更ながらに思います。
5人家族が急に4人家族になった、その喪失感を強く感じてました。今思えば、あれが私の生命感や倫理観の原点だったように思えます。
昔は祖父母と同居が当たり前のようでした。今は核家族化が進み、その辺の価値観は私が幼少時の頃とは大きく変わって来ていると思えます。
事の良し悪しは抜きにして、私は一緒に暮らす祖母の死から生命の尊さを学んだ事、今となっては非常に尊いものだったと思っています。
そして9/15(日)は、昨年亡くなった父の命日です。
自分の母親の命日の翌日に亡くなったとは、運命的な物を感じます。
父は、私の開業間近に亡くなりましたが、本当に私が自分の城を持って奮迅する姿を見て貰えず、残念でなりません。
何だかとりとめの無い文章になって参りましたが、いつ誰に見られても恥じない行動をして生きていこうと強く思いました。
あまり本文と関係ありませんが、画像は当院表の黒板です。
10月からは増税になります。
銀歯は見映えが悪いだけでなく、アレルギーの原因となったりします。
皆様是非ともご検討ください。